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三十五年ぶり二度目

友達の片岡由紀さんと息子の祐一郎くんが企画・主催している

 

「へっぽこ音楽祭」にて

 

この人生で三十五年ぶり度目の!!

 

ライブペインティングで参加させてもらうことになりました!!

 

 

わ~!!!!!

 

 

「へっぽこ音楽祭」とは

 

「上手な人、日頃ギャラ貰ってる人は出演不可。下手でも音楽を楽しんでいる人や

プロのミュージシャンの場合は専門外の表現で出演する」

というコンセプトのライブイベントです。

 

それで今回の出演者はほとんどが私の大好きな音楽を奏でる友達なのですが

 

今、受講している「本郷綜海さんのスピリチュアル・プロフェッショナル養成コース」で

一緒になって知り合い、友達の友達だったということに気付いた松井雄一郎くんも出演することになってて

 

「あ~いいな~!私も何かしたいな~でもな~」

 

と思っていました。

 

「今は一人で音楽で出る気分じゃないんだよな~」

 

って。

 

だけど、昨日主催の二人に会って

 

「楽しそうだし絶対に行こう」

 

と思っていて、今日ふと自転車をこいでいたら

 

「ライブペインティングやろうかな~」という気持ちが湧いてきて

 

帰ってきて主催者にメールをしたら「来るもの拒まず!どうぞ!」という快諾を得て

 

ライブペインティングすることになりました!!!!!

 

いや~、嬉しい!!!

 

実はずっと前からやってみたかったんだよね。

だけど、それを自分に許せてなかった。

 

私なんかが、とか、もっと上手い人たくさんいるし、とか思ってた。

 

だけど、今回はなんかすごく素直に「やってみたいな~」って思えたし

それを「やりたい」って言えた。

そして主催者もそれを受け入れてくれて。

そのことが何より嬉しい。

 

いや~ありがとうございます!

 

人前で描くのは歳の頃のNYでオレスタさんと一緒に描いて以来です。

 

なんか、感慨深い。

 

 

「はーちゃんは、何がやりたいの?」

 

そう聞かれて心の中では(絵が描きたい!絵本とか作りたい!)って思っていても

怖くて、言えなかった。

 

やっぱり、十八歳の時に「絵描きになりたい」って言ったら「そんなの食っていけない」って言われたことが

私をそこに縛り付けていたんだと思う。

 

言っても否定されるんじゃないかという恐れがずっとあったから。

 

言いたいのに言えない自分が苦しかった。

 

でももう、その私じゃないんだよ。

 

やりたいことをやりたいって言えるし

やれるんだよ。

 

大好きな出演者ばかりなので

めちゃくちゃ楽しみです!!!!!

 

イヤッホーーーーーイ!

全身で楽しむぞ。

 

みんな見に来てね☆

 

()正午オープン十三時半スタート

入場 @京都 一乗寺 ケパサキ(茶山駅を東に徒歩分)

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木と仲良し

 

私には、とても大好きな木がいる。

 

長く生きてきた木は長老だったりする。

 

ずっとこの街を見てきたんだね。

 

ずっとこの場所を見守ってきたんだね。

 

表参道のケヤキ並木の長老たちは

ずっと、ずっとあそこで、あの街を見てきた。

 

いろんなことがあった。

 

ずっと、見てた。

 

それだけで、あの長老の木々を尊敬する。

 

あの佇まい。

落ち着き。

 

行き交う人々。

排気ガスもいっぱい。

 

でも、じーっとあそこにいて、見てる木々。

 

すごいと思う。

 

木々が見てきた記憶が一瞬で

 

私の脳内にフラッシュバックするみたいに見えた。

 

 

ただただ尊敬して、わあっと大好きになって

木々に触れて

 

一本ずつハグして

 

ずーっと、歩いたことがある。

 

本当に彼らの仕事ってすごいなあって。

 

 

大学へ行く途中の玉川上水にも

素晴らしい木々が沢山いて

自分の親兄弟のように

思っていた。

 

朝行く途中で、挨拶をして

ハグして

話して

やっと大学まで行けた。

 

いつも遅刻してて

木と仲良くしてた。

 

ある時、入ったモスバーガーで

観葉植物としてそこにいたパキラ

どうしてもその幹に触れたくて

触ったらぐぐぐぐ~っとエネルギーが優しく入ってきた。

 

すごいの。

どんなところにいても

たとえ植木鉢でも

木は優しい。

 

沖縄のある公園には

おじいちゃんみたいな木がいる。

 

お金もなくて泊まるところもなくて

その木の下にテントを張って寝てた。

 

木の上に登って、跨って、いろんな話をした。

 

ボロボロに傷ついてヨレヨレになった私のことも

全部、知ってる木

 

もう人間でいることが辛すぎて

真剣に、真剣に祈った。

 

木になりたい。

木になりたいの。

 

もう人間疲れた。

 

私は木になりたい!

お願いだからこのまま木にならせて!

って必死でお願いした。

 

だけど、急にその木は私をフっと

木のエネルギーから放した。

ずっと、交流していたのに

フッと放してこう言った

 

「お前は人間だよ。人間になりなさい。」

 

私は泣いた。わーわー泣いた。

 

その言葉が、本当に深くやさしいところから

来ているのがわかったから。

 

やだよーやだよー

木になりたいのにー

木になりたかったー

 

と泣きじゃくる私の側で

ずっと私を見てた

 

涙が枯れて疲れ果てるまでそこにいた。

 

私のおじいちゃんの木。

大好きな、大切な木。

 

ハワイ島にもとんでもない長老がいて

もう家より大きい空間を

完全にホールドしてる

 

とてつもなく平和で慈愛に満ちている長老

 

もう何もいらなくなる

言葉も

声も

 

ずーっとそこにいたくなる。

 

永遠てこんな感じかな

という空気に

お邪魔する感覚

 

大好きな長老。

 

武蔵境から井の頭に向かって歩いて

疲れてもたれた街路樹と抱き合ってたら

 

木の幹を、樹皮を、舐めたくなった。

 

どうして人間はキスなんてするんだろう?

どうして舌と舌を絡ませたりなんて

するのかな?

 

って思ってたんだけど

 

樹皮を舐めた時に、わかった。

 

人間の中で最も敏感なセンサーが

舌にあるからなんだって。

 

だから舌と舌を絡ませて

互いの情報交換をするんだね。

 

私の頭の上に「!」が出てた。

 

木とキスして、初めてわかった。

 

 

この記事を読んで、私と木々のことを思った。

今まで秘めていたけど、書いておこうと思った。

 

私は木と仲良しだから。

 

「自閉症スペクトラムと呼ばれているような障害は、実は障害でない。生物としての人類のバリエーション(変異)のひとつである。」

 

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あまなつだれでも食堂の報告書ができた!!!

わたしは二〇一六年の月から仲間たちと「こども食堂のようなファミごはん」を始めた。

 

経緯についてはこちらの武蔵野美術大学校友会会報誌ムサビマガジンに載っている

わたしのつくること、生きること」というエッセーをご覧ください。

 

それで、年が経って延べ人以上分の食事を提供してきたことや

会計がどうなっているか

寄付をくれたみなさんへのお礼

名前を「あまなつだれでも食堂」に変更したこと

それぞれがやってみた感想などをまとめた報告書を

これまた仲間たちと一緒に作って印刷して折って

 

 

出来上がりました!!!

 

一〇〇〇部作った!!

 

 

やったーーーーー!!!

 

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表紙のゆるいイラストは私が描きました。

こうして形になるってのは、やはり感動する。

 

 

画面上で書面を見たときとは違う感動がある。

 

 

紙に刷られて、折られて、束ねられて。

 

今回はさらに甘夏ハウスの賃貸契約更新があって

結構な額が必要になり、今後継続していくためには

どうしてもカンパを募らないと厳しい状況になったので

 

カンパの呼びかけもしています。

 

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カンパしていただく際には今後このような報告書を作成の際に

お名前を掲載していいかどうかをお知らせ頂けると非常に助かります。

 

私が書いた感想は長いので別記事にしました。

あまなつだれでも食堂を一年間やってみた感想 - あどここ日記

 

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あまなつだれでも食堂を一年間やってみた感想

一年間やってみた感想

 

なっちゃんの書いてくれたことにも、かなづが書いてくれたことにも、1ミリの違和感もなく同感だなあって思って

だから私が書くまでもないかなって思うけれど、私なりに一年振り返ってみます。

 

とりあえずやってみよう!ってやってみて、やはり常に人に支えられていることをすごく実感した一年でした。

お野菜やお米を送ってもらったり、手伝ってくれる人が集まってくれたり、運営資金を振り込んでいただいたり

声かけたり気にかけてくれたりもして、食べに来てくれる人もいつもちゃんといて

とにかく本当にみなさんのおかげで成り立っていてありがとうと改めて伝えたいと思います。

ほんとうにどうもありがとうございました。

 

ある日、声をかけてもらった「こども食堂シンポジウム」でパネリストとして登壇した時に

私たちのことでいいのかなあ?何かのヒントになるだろうか?うまく伝えられるだろうか?と思って

緊張しながらもお話ししていたんですけれども、他の方の話を聞くとやはり「支援型」の「地域密接交流型」でこそこども食堂は貧困対策として機能しうるのではないか?というような空気の流れがありました。その点、甘夏ハウスで私たちが始めたものは「子どもだけを対象としない方がいいんじゃないか?」「貧困対策としてというよりも、セーフティネットのような役割を担えないだろうか?」と考えていたので、これでいいのだろうか?いいと思うんだけど、説得力や成果が出しにくいから、とモヤモヤしていました。そんな時、急に思い出したことがありました。

それは、自分でもびっくりしたんですけど、私は母子家庭のフルタイムで社員として働くシングルマザーの子どもで

鍵っ子で、よく一人で晩ご飯を食べていたんですね。そしてそのことをその日その時までなんと!忘れていたのでした。

登壇しながらも走馬灯のように自分の子供の頃の記憶が蘇ってきて、だけどそれは決して悲惨でも惨めでもなくて

当時の自分としては何も問題と思っていなかったし、マイペースに自分勝手に過ごせていてむしろ幸せくらいに思っていました。

母子家庭でもその頃は景気も今より良かったし、収入面でいうと母が稼いでいた額が多すぎて母子手当がもらえない程度には

潤っていたのでした。ごはんもほとんどは母が作り置きしていてくれて満足していました。だからそういう意味では「貧困」ではありませんでした。だけどよく考えてみたら、やっぱりそういう物理的な豊かさとは別の面でもしかしたら得られていないことがあったかもしれません。じゃあ、それはなんだろう?と考えてみました。

周りの子達が当たり前のように享受していて私になかったもの、それはもしかしたら自分の親以外の大人との交流だったかもしれないと思いました。

 

昨今、よくよく「ご近所づきあいが大事」とか「地域で支え合う豊かさ」みたいな言葉をよく耳にしますけど、実は私にはあまりリアリティがないんです。小中高校生時代を東北の田舎の小さな住宅地で育ったんですけれども小2で引っ越してくるまで東京で生まれ育ったものですから、いわゆるよそ者です。よそから来た上に母子家庭です。母子家庭で母は土日も含めたフルタイムの仕事をしていますから町内会にも地域にも溶け込めようがありませんでした。町内会の仕組みがよくわからない私は友達に誘われて町内会の人たちとバスに乗って出かける行事に参加したら「廃品回収を手伝ってない家の子供は来ちゃいけないんだぞ」って言われたこともありました。どんな事情であれ町内会の手伝いを積極的にできない家庭は村八分な訳です。それで、その頃の私の周りにもし「地域に根ざしたこども食堂」があったとしたら、私は通っただろうか?と考えました。

母子家庭育ちという偏見を持たれることの窮屈さというのは差別される側に立ってみないとわからないことかもしれませんが、とても居心地が悪く肩身の狭いものです。私がその頃過ごしたその地域だけが特殊だったわけではなくて、保守的な考え方の人が多い地方都市の住宅街ではそんな考え方の方がメジャーなんじゃないでしょうか?違うんだったらその方がいいけれど、私だけが特殊だったわけではないと思うんですね。

 

そんなふうに考えて振り返ってみると今の甘夏ハウスで開いている「あまなつだれでも食堂(旧こども食堂のようなファミごはん)」は、その地域に暮らしているわけでもないよそ者が開いているのですから、よそ者に優しいと考えることができると思います。

どんな地域にだって、地域や町内のコミュニティに馴染めない人たちだっているんじゃないだろうか?

密接で近い関係の中だけでなく、いろんな人が来て混ざり合う風通しの良い軽やかな関係性があってもいいんじゃないだろうか?

急に視野が開けたような晴れ晴れとした気持ちになって、甘夏ハウスでのこのやり方、この方針は間違っていないのだと確信しました。

よそ者による、誰にでもひらかれた場所。そういう場所でこそくつろげる誰かがいるような気がしたのです。

そして、こういうことを受け入れる度量のあるご近所の方々も集まってきてくれていることはとても心強くもあります。

 

大人になった私は大勢の人たちと大きなテーブルを囲んでワイワイご飯を食べるのが大好きでした。

疑似家族みたいなものに憧れがあるなあと20代の頃にアルバイトをしていた飲食店でふと気付いたりもしました。

他愛もない話をしながらくつろいでご飯を食べることって、なんて楽しいんだろうって思っていて、その賄いを食べる時間が大好きでした。

 

京都に越してきて手伝った「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ」でも大勢でご飯を食べます。私にとってはそういうふうに誰彼問わずごちゃ混ぜになってワイワイと食べるごはんてのは、食べ物の持つ栄養素だけではない何かを私にもたらしているような気がするのです。

 

毎週だなんて大変じゃないですか?と聞かれることがあります。もちろん休みたいなって思う時もあります。だけど3人主要なメンバーがいれば交互に休むことが可能だし、それに何といってもやっぱり自分自身がこういう場所でこういうごはんの食べ方をするのが気に入っているのです。

 

だからあんまり大変だなって思うことって少なくて、楽しいな嬉しいな美味しいなって思ってやっています。

 

誰もがなるべく無理をしない形で、じんわりと続けていくことができたらいいなあと思っています。

 

これからもどうぞみなさんと一緒に歩んでいけたらいいなと思っています。

 

はづき

 

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生存確認

 

こないだ「ドアの向こうに見えたもの」という文章を書いたのだけど

 

 

書いた翌日、母とランチを一緒にすることになり

 

私「ねえ、オレスタさんて、どうしてるんだろ?」

 

母「どうしてるんだろうね?死んじゃってるんじゃない?」

 

私「そうかな。オレスタさんのスペルわかる?フルネームの」

 

母「あーオレスタの名字がねえ、長くて難しいスペルで。家のどこかにあるかしらね。」

 

私「今やネットの時代だし、調べたら何かわかるかも?」

 

母「そお?」

 

なんて話した。

 

 

それで二人して「生きているといいねえ」なんて言って

そういえば紫色のセーターを送ったことがあったね。

そうそうお揃いの毛糸で、おばあちゃんに編んでもらって

なんて思い出を掘り返して。

 

 

して翌日の朝、母からメール。

 

 

 

「オレスタさん、スペルわかって、調べたら、生きてた!」

 

 

 

エーーーー!!!!!

 

 

 

「すごい!今どこにいるの?NY?」

 

NYだって!住所わかった!」

 

「すごいね!調べてみるもんだね!」

 

 

と、やり取りをして私もフルネームで検索したら

銀髪になったオレスタさんがどこかのパーティで撮った写真が出てきた。

 

全然、印象が変わらない。

スラッとして美しい。

もう76歳。

 

母と二人、オレスタさんの生存を確認して

興奮した。

 

母は早速、ハガキを出したらしい。

 

 

二人で「会いに行きたいね!」と盛り上がった。

 

 

まさか生きているとは思っていなかったので

とても嬉しい。

 

 

どうか私の個展がNYで開かれて

そこにオレスタさんが立ち会ってくれますように。

 

ああ!

 

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アーティストって、何かね?

アーティストって何だろうね?

 

日本で肩書きとして名乗るときちょっと気恥ずかしく感じてしまうのは

私だけだろうか?

 

そしてそれはなぜなんだろうか?

 

アートとは?

そもそも神の道具、通り道のことである。

 

 

神という概念は、または大いなる意志、または偉大なる宇宙、または初めにあったもの、自分の中心につながること、などの総称

 

 

アーティストとは?

つまり自己を超越した何かに対して自己を明け渡すということ

自分を器として、道具として差し出すこと

 

大いなる意志をこの地上に発露させるために

 

アーティスト自身が道具となり表現する

 

それは音楽だったり、絵画だったり、詩であったり、文章であったり、踊りだったり

様々な形をとる。

 

人はそれらに触れ、心震わす。

 

私たちは元々はひとつで、それぞれがかけがえのない存在であり

支え合い、助け合い、喜び合い、悲しみを分かち合う

愛そのものであることを

思い出すために。

 

ありったけの熱情を込めて

 

歌い

踊り

描き

綴り

奏でる

 

協奏曲を

狂想曲を

 

私たちは楽しむために

いろんな思いを味わうために

 

この星にやってきた

 

いろんな思いが色とりどりの糸となって

織る

人生という名のタペストリー

 

絶望したっていいじゃない

狂ってしまってもいいじゃない

泣いたって

喚いたって

嘆いたって

笑ったって

 

いろんな思いを味わえば味わうほど

カラフルな一枚に仕上がる。

 

一色のトーンが微妙に変化していくような人生でも

補色やビビッドな色が重なるような人生でも

 

美しいことに変わりはない。

 

どんな風に生きようと

誰もが絶対的に

美しいと

本質において

私たちは知っているから。

 

輝いたって

輝かなくたっていい。

 

くすぶっていようと

しょぼくれていようと

 

全然、構わない。

 

だってあなたは

美しい。

 

犯罪者だろうと

殉死者だろうと

サラリーマンだろうと

娼婦だろうと

病人だろうと

 

美しくない

人生などない。

 

そういうことを伝えるために

アーティストは

いるんじゃないかな

 

生きることを諦めてしまわぬように

 

美しさを称えるために

 

そのためには

アーティストは空っぽになる必要がある

通りを良くするために

 

こどもみたいに

ケタケタ笑って

空っぽになる

 

幼いこどもはいつも何かに夢中で

空っぽだ

だからとてもよい通り道になる

 

ふとした時にこどもが言った

ひとことで

何もかも救われてしまうような

ことだってある

 

そんな感じで

 

アーティストってのは

在り方だから

 

表現だけで食っていけていようといまいと

関係ないんだよ

 

本当は職業じゃないから

ただの役割だから

 

そういう在り方しか知らない人

ついそういう在り方をしてしまう人

努力の甲斐あってそういう在り方になった人

何も知らずにただそういう在り方の人

 

いろんな辿りつき方があるし

そもそも幼い頃は誰でもそうだった

とも言える。

 

ただ、思い出すだけでいいのかも。

 

ケタケタ笑って

空っぽになって

グリグリにクレヨンを紙にこすりつけていた

あの頃の自分を

 

思い出して

今の自分で

再現するだけでいいのかも

あの頃の感触を

 

そんなに難しいことじゃない

 

そんなに特別なことじゃない

 

誰だってできるんだよ

 

ってことを

 

思い出させてくれるのも

 

アーティストの役割だから

 

ウズウズする何かを

 

自分の中に見つけたら

 

自分を明け渡しちゃったらいいんだよね

 

はい、どうぞ、って。

 

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言葉で伝えようとすること②

言葉で伝えようとすること①に続く感じで書いています。

 

 

昨年、森田雄三演劇ワークショップに参加した時のこと。

 

雄三さんが「ゴチャゴチャ言わなくていいから、あなた不思議なものが視えちゃう感覚の子なんだから」と言いました。

 

私が、過剰に説明しようとするけど本当は全然そういうことが本分ではないということを

見抜いたのです。

 

その前に雄三さんは「あなた、霊感がある?」とひっそりと聞いてきました。

 

ドキッとしました。

 

「僕は脳がおかしくなって手術してから、先生に頭が良くなった気がします、と言ったのね。他のことはうまくできなくなったりもしたんだけど、直感というかそういうのがスッと頭の中に出てくるようになったの。」

 

そうなんだ。

 

私の場合、霊やオーラは見えないけれど私は人の心や状態に敏感で目に見えない何かを察知している感覚があります。

 

ある島ではクッキリと声で聞こえたり、不思議体験と言えるような体験は他にも色々とありました。

 

だけどそれらのことは誰にも言うつもりもなかったし、言ったところで理解される気がしていませんでした。

 

だけど雄三さんは、私がそういう子だってことを、すぐに見抜いて、わかった。

 

その時にとても安堵しました。

 

 

言わなくても、わかってくれる人は、わかってくれるんだ。

 

そういう人は、いるんだ。

 

私は、雄三さんをある意味とても信頼しています。

 

「いい加減なこと言ってるんだからさ俺」って言ってるし本人はそう思っているんだろうけれど、直感的で本質を突いていることが多い。

 

私は「言葉」にどのくらいその人が伝えたいことが乗っているか

 

 

その人と発せられた言葉がどのくらい誠実な関係かに、とても敏感です。

それは自分がそれほど上手に言葉で表現できない頃からそうでした。

 

だから嘘をついているだとか適当なことをどうでもいいと思って言ってるとか

そういうことを感じ取ってしまう。

 

わかりたくてとか、わかろうとして、とかじゃなくて

どうしてもわかってしまうのです。

 

それは実は恐ろしく辛いことでもありました。

 

見たくない部分も見ることになるし

 

知りたくないことを知ってしまうこともありました。

 

社交辞令で成り立つような集まりは苦手でどう振る舞っていいかわからなかったし、お互いの本音を探り合いながら建前で会話することも苦手でした。

 

そんな時は一人離れて静かにぼんやりしている方がずっとずっと楽でした。

そういうことが「変なこと」だともあまり思ったことがなかったけれど

「おかしな人だなあ」と思われていたかもしれないと今は思います。

 

ある意味、テレパシックというか、サイキックな能力があったからなんだと知ったのはある程度大人になってからでした。

 

そんなだったので若い頃は、人と言葉のズレを指摘してバサバサと人を斬るような発言もあったと思います。思いやりに欠けるような。

 

正直さだけが取り柄と思っていた頃の私の言葉は危ないものだったかもしれません。

 

人生経験が積まれたり本郷綜海さんのグラウンディングとか学んだりしたことで

 

これでもだいぶ、言葉で何かをぶった切ったりしないようになったんです。

これでもだいぶ、丸くなったんです。

 

若い頃の私を知ってる人ならわかってくれると思うんだけど

出会いというのは常に一瞬のやりとりだったりするわけで。

 

だからと言って自分の感覚的なことは鈍らせたりできることではないので

 

諦めてこの自分のまま、行くしかないなって

 

半分は諦め、半分はそれでこそ私

 

と思って生きています。

 

森田雄三さんのブログ

http://yuzo-goroku.jugem.jp

 

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言葉で伝えようとすること①

「愛すると失う」というセットをどうしてこんなに意識してしまっているのかについては前々回に書きました。

 

私は愛する父と会う機会を失い、父がプレゼントしてくれたぬいぐるみとかも失った。

そして、何一つ父にちゃんと伝えることもできずにただただ泣いていたのが

3歳の時のことでした。

 

私は、過剰なまでに「言葉を使って伝えようとする」傾向がある。

 

 

こんなに言葉を重ねているけれど

本当は全然、得意なことじゃないんです。

 

感覚派で、いつまでも黙っていられるなら黙っていたい。

 

ずうっとテレパシーが使えるようになる世界になったらいいと思って

親友と練習していたこともありました。

 

感覚や心がズバッと伝え合えたらいいのにって思ってた。

 

こういうことなんだ、ってことをきちんと伝わるまで話し合いたい。

こうだってことを、言葉でうまく言い表したい。

 

そういう欲求が、どうやら他の人よりあるっぽい。

 

そのことに少しずつ何度か気づいてきました。

 

どうして私はこんなにも「理解」されたがりなのか?

 

夫は私の議論に徹底的に付き合ってくれるしちゃんと話し合えます。

そこがとても気に入っていて。

 

ある時「理解されること=愛されていること」というふうに自分が感じていることに気づきました。

 

だから、ちょっとでもわからない、とか、わかろうとしてくれない、とかがあるとひどく落ち込み

どうしてわかってもらえないのか?とかどこがどう気持ちがすれ違っているのか?を徹底的に話し合いたいと思っていました。

 

「言葉の数だけじゃ心通うはずないのに byUA

 

わかってる。だけどどうしてもそうせずにはいられない。

今もそう。こんなにブログで自己開示をするつもりなんてなかった。

 

だけど、中途半端に誤解されたくない。

理解されたいという気持ちが過剰。

 

それは、父との別れに原因がありました。

 

あの時の「自分の気持ちや状況を伝えられなかった想い」が私に深く刻まれて

私は、無意識に日々、訓練をしてきました。

 

私と発する言葉にズレがないか?自分を観察しました。

 

それはそれはズレていたこともあって、その頃は人としゃべるのが苦痛に感じることもあり

今日は一日誰とも話さないと決める日もありました。

 

言葉なんかなくても全部伝わればいいのに

 

そう強く願っても祈っても叶いっこなくて

 

絶望的な気分が、私のどこかにいつもあったように思います。

 

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ドアの向こうにみえたもの

ドアの向こうに見えたもの

 

私が参加している「スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース(はづき語で言うと:自分の本質につながって自分の本当にやりたかったことを仕事にするための講座。講師:本郷綜海)」が開催され昨晩遅くに帰宅しました。

 

内容に関してはなんと説明したらいいかわからないけれど講座の最後に短い時間で瞑想をすることになりました。

 

この辺は「スピリチュアル」ぽいかな。

 

意識を鎮めながら綜海さんが静かに言葉でリードしていきます。

 

結構、頭の中に言葉や映像が浮かぶので、うーん、集中できていないのかな?と思っていたのだけれど

 

「目の前にドアがあります。そのドアを開けてみましょう」

 

と言われてイメージの中でドアが開くとそこには

 

 

NYの小さなギャラリーで個展をしていて

たくさんの人が詰め掛けてくれているオープニングパーティで

私がみんなに話しをするシーンが見えました。

 

ミュージシャンがやってきてギターで弾き語りをしてくれるのも見えました。

 

それまで私の心の中には

 

「絵を描きたいとか言っても描いてこなかったわけだし、描いて母に認められたいからなんじゃないのか?それはただの承認欲求で私の本当にやりたいことではないのでは?」

 

という疑問があったりして、少し胸の奥がツーンと痛くて、もやもやしていたのです。

 

だけど、このドアを開けた時に見えた風景がNYだってわかった時に一斉に思い出した記憶がありました。

 

それは私が5歳の頃、母は私を連れてアメリカのLANYへ行く旅に出ました。

NYでは母が若い頃に旅の途中のマルタ島で出会い仲良くなった「オレスタさん」という女性の画家に会いに行きました。

 

1981年のことです。

 

オレスタさんと無事再会しとても素敵な湖畔の白くて広い家に泊めてもらい

私はハンモックに揺られ、湖で遊び、とても大きな野生のアフリカの動物の絵が製作中で

それらはとても美しく、居心地のよいスタジオでオレスタさんは常に私たちをリラックスさせてくれました。

そんなある日のこと、NYの街の中へ出かけよう、母が知り合い仲良くなったアート・ブレーキーというドラマーが出演するWHAT’S TUESDAYというジャズバーに出かけようということになりました。

 

その前に、母はデパートに行きたいということでデパートまで行くとオレスタさんが

 

「あなたは子供とずっと一緒でしょ?私が一緒にいて見ていてあげるからあなたは一人の時間を持ちなさい。楽しんでいってらっしゃい。」

 

と言って母に一人の時間をプレゼントしました。

 

 

残された私は、もちろんオレスタさんがなんて言っているかなんてわかりません。

 

 

オレスタさんはデパート付近の石畳のあたりにある植え込みか何かのひんやりとした石の台の上に紙を出しペンを私に渡し、紙の上に手を置いて私になぞるように促しました。

 

私は、なぞって、オレスタさんが手を移動させるので私がまたそれをなぞりました。

 

そうして「かに」や「ハト」を紙の上に描いたり

今度は交代して私の手をオレスタさんがなぞったりして何枚か絵を二人で完成させました。

 

ハッと気づくと私たちを囲むようにして人だかりが出来ていました。

 

オレスタさんは、みんなに私たちの描いた絵を見せて何か話すと

 

大勢の観客が、拍手をして盛り上がりました。

 

オレスタさんはそこにいた人たちと話して握手をしていました。

 

そうしていると母が戻ってきたのでオレスタさんは私との時間を母に説明し、母はとても嬉しそうに良かったねと言って私の頭を撫でました。

 

オレスタさんはさっきみんなになんて言ってたの?と聞くと

「この子は私の友達の子で私達は言葉が通じない。だけどこうして絵を描くことで私達は話をすることができるのよ」

ってみんなに言ったんだって、と言いました。

 

そして三人で近くの小さな喫茶店に入ってお茶を飲んでいると

近くにいた黒人の男の人がテーブルにやってきて笑顔でペンを二本くらい差し出して何か言いました。

母に聞くと

 

「さっきあなた達を見ていた。とても素晴らしかったよ!ありがとう!」

 

と言ってこの子にペンをあげようねってくれたのよ、と言いました。

 

 

私は、そのことをよく覚えてはいましたが、最近はすっかり忘れていました。

 

 

 

瞑想で見た「ドアの向こう」の風景がこの記憶を運んできてくれました。

 

 

 

私は近い将来、NYの小さなギャラリーで個展を開き、集まった人たちの前でこの時のことを話すでしょう。

 

 

 

そして可能なら、オレスタさんの消息を調べたい。

 

以前に一度NYへ行った時は探せなくて心残りだったから。

 

母が言うには癌になったんじゃないかという話もあったそうだけど、何か手がかりが見つかるかもしれないから。

 

そして、もう一度、オレスタさんがアトリエとして借りていた湖畔の白くて天井の高いあの家を訪ねてみたい。

そう思いながら私の目には涙が溢れていました。

 

 

 

瞑想が終わると

 

 

胸の奥にあった痛みは溶け、絵を描く時の喜びや楽しさが私の中に息吹を吹き返していました。

 

 

 

オレスタさんと共に絵を描いて遊んだあの時間が、私が絵を描くことの楽しさの原体験となって自分の核にあることを確信しました。

 

 

 

もう迷わないで、いいんだ。

 

 

 

そう思うとまた熱い涙がこみ上げてきました。

 

 

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愛と恐れはどうしてセットに?

前回に書いたものを読んでみるとなぜ「愛する」と「失う」がセットで認識されているのか?と思う。

 

私は、父と幼い頃に生き別れている経験が大きく影響していることにある時気付いた。

 

両親の離婚に、正直言って子は無関係だ。

 

例え不仲だろうと不倫だろうと借金だろうと子には関係ない。

 

どちらの親も私を愛しているし私も両親を愛していることに変わりはない。

 

 

だけど日本には親権制度がある。

 

 

子供が親に会うことを選択する権利は、どこにもない。

会うも会わないも親次第。

私の場合、母が会わせなかったのではなく、父が会いに来なくなってしまったのだ。

 

それでも私は会いたかった。大好きだったから。

 

 

父が、どうして会いに来なくなったか?

 

ある時、父が迎えに来たのに私は号泣して父の前に出て行かなかった。

何があったわけでもなかったらしい。

祖母も母も困惑していたのだが

父は「母たちが自分のことを悪く言ったに違いない。それで自分を嫌いになったのだ」と解釈したのではないか?と祖母が言っていた。

 

 

全然違う。

 

その話を聞いてしばらくしてから、私は当時の自分の気持ちが蘇って号泣した。

 

会っても、別れるのが、辛くて、それでもう会う時点でその別れる悲しみが溢れて

父と会って別れなければならないことが辛すぎて

泣いていたの。

 

そのことを私はうまくしゃべれなかった。

伝えられなかった。

若干3歳。

 

伝えられるわけない。

 

泣いて出てこない私に、その状況に激怒して、私にくれたプレゼントのぬいぐるみとかも全部持って帰ったらしい。

 

お父さんだけでなく、お父さんがくれた私の大切なものも、なくした。

 

何も言えなかった。

 

何も伝えられなかった。

 

全然、違うのに。

 

お父さんのことを嫌いになったりしてなんかいないのに。

 

どうして気持ちが伝わらないんだろう?

 

どうして心と心が通じ合わないんだろう?

 

私が言葉で伝えられなかったから。

 

 

両親の離婚に、子は関係ない。

子が親と会う会わないを選択する権利を

すべてのシングル育ちの子が持てるようになることを

願ってやまない。

 

すべてのシングル親が子にその選択権を与えることを

真剣に考えて欲しいと

切に願う。

 

子にとって最初の他者である両親という存在

両親との関係性はその子の人生に大きく影響する。

たぶん。

少なくとも、私の場合はそうだった。

離婚するなとかDV親にも会えとかそういう話じゃないからね。

 

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愛することは恐ろしい

昨晩、100人と声を合わせて中島みゆきの「糸」を歌ったら涙が止まらなくて大号泣というか嗚咽って感じになったんだけど。


それは、みんながあまりにも美しいすぎて、世界がすばらしすぎて、そのことに圧倒されてしまったから。


私はただただ、ひれ伏すしかなかった。世界の、みんなの美しさに、あたたかさに、完全降伏。

 

「スピリチュアル」って言葉に引っかかってそれだけのことで避けてしまって、こういう感動に出会えない人がいるとしたらそれはすごくもったいないことだと思って悔しかった。

みんなにこの気持ちを味わってもらいたい。

全然、胡散臭くなんかない。

全然、怪しくなんかない。

生でハートが震えて、人が世界が優しいものだって、こんなに体感できることなのに。

必要としている人にちゃんと届いて欲しいと強く願う。

 

主宰の綜海さんが泣いてる私に「旦那に泣きながらでも電話した方がいいよ。

最悪、酔っ払ってるって思われるだけだから」って言うので、1人になった時に、電話した。


私の夫は激烈超絶優しい人で、今まで出会った中でこんなに芯から優しい男性を他に知らない。

いつもその優しさに甘えて、私はやりたい放題だ。

それでいて優しくしたり好きだとかそういうことを伝えることがなかなかできない。

本当は大好きなんだけど、本当に好きな人に好きだと伝えることをハードルに感じる私がいる。

 

それは恐れだ。

 

愛したら失うことが辛くなるから。

 

世界を愛したら去りがたくなるから。


同じことだ。

 


いつか死ぬことはわかっていて、それでもどうしても出会ってしまう。


いつか去ることを知りながらも、どうしても生まれてきてしまう。


私たちはそのことを知ってる。


何かを誰かを愛することは、恐ろしい。

 

だけど、失うことを恐れて愛さない出会わないことの方が、もっとずっと恐ろしいことだと思う。

 

だから伝える。


それしかない。


震えても。

 

夫に電話をし、いつもどうもありがとう、と伝えて電話を切った。


好きな人には好きとなかなか言えない。

 

ありがとうって言葉で誤魔化す意気地なしな自分がイヤになって、もう一度かけ直す。

 

いつも、ちゃんと好きだということを伝えられないような態度じゃなくて、ゴメンなさい。

 

本当は大好きです。

 

突然深夜の告白に照れるやら困るやらの夫は、そんなのわかってるよ、と言った。

 

わかってるんだ!


すごい。


私この人、本当に大好きと思った。


夫も全然好きだとか愛してるなんて言ったりしない。

 

だけど、あの人の場合、存在そのものが愛だから。

 

なんなのそれ?っていつも私がビックリするくらい深い。

 

 

目を腫らして遅刻で歩きスマホでこんなこと打ちながら泣きながら今日もまた講座に行ってきます。

 

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【続続】どうして今さら?

前回からの続きです。

 

ところで、みうらじゅん(あえて呼び捨てにします大好きなので)は子供の頃から「〇〇やりたい」とか「〇〇になりたい」とお母さんに言うとその度に即答で「なれる!」「できる!」と返事が返ってきたそうです。

 

子供の頃はそうやって自分はなれるんだ!できるんだ!と思っていたけれどだんだん大人になるにつれて「うちの母親、やばいんじゃないのか?(なんの根拠もなく言っていて自分のただのファンみたいだったから)」と思ったらしく、そこからは自分でちゃんと色々調べたりってことをするようになったそうです。(たぶんそんなようなことをどこかのインタビューか何かで読みました。うろ覚えなので間違っているところもあるかも)

 

私は大学時代も卒業後も「自分の本当にやりたいことってなんだろう?」ってずっと考えてきました。

もちろん、それと同時に自分の興味関心のあることやその時々でやりたいと思ったことには全力で取り組んでもきました。

あれもやりたい、これも興味ある、やってみよう、行ってみよう、こうだったらいいのに、そうだこうしよう。

 

ですが「自分の本当にやりたいことってなんだろう?」が頭から消えることはありませんでした。

 

どうして自分は「好き」と思えることに正面からスッと向き合って取り組むことができないでいるんだろう?

どうしてあれこれやってみては疲れ切って続かなくなるんだろう?

 

私って、ダメだ。

私って、甘いんだ。

私って、何の才能もないんだ。

死んじゃいたい。

 

 

いろんなことが諦めきれないまま、かといって何か一つのことをやって満足するわけでもないまま、ぐるぐると回り道ばかりしてきたように思って自分にうんざりすることも少なくありませんでした。

 

どうしてこんななんだろう?って考えたとき、やっぱり私は自分がやりたいと表明したものに対して即座に否定的な返事をされて育ったからではないかと気付きました。

だって、みうらじゅん(あえて呼び捨てにします大好きです)は、即座に肯定されまくって育った。

もちろん本人の才能も素晴らしかったからなのも大きいけれど、その「即座に肯定される」という経験は、後々に大きく響いて、今も好きなことを好きなようになんでも仕事にする男みうらじゅんを形成しているんじゃないか?

そのベースが効いてるからあんなに自由で楽しそうなんじゃないか?と思いました。

 

私もみうらじゅんになりたい。

 

誰かの役に立ちたくて、喜んでもらいたくて、人の手助けをして、頼まれたらいつでも自分を捧げて、それで心底満たされるのならばそれがその人の本望なのだと思います。

 

だけど、残念ながら、私は違ったのです。

 

いつも擦り切れてボロ雑巾のようになるまで、そのことに目を向けず、いっぱいいっぱいになって、最後の最後に精魂尽き果てて何もかもできなくなる。アイデアだって尽きてくるし、お金もすっからかんになる。何もやる気が起きなくて毎日眠っていた日々もありました。

 

そして、そんな自分に、うんざりしていました。

 

何度か、案内文を読んでは高額だし合宿だしと諦めていた「スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース(はづき語で言うと:自分の本質とつながり自分が本当にやりたいことを仕事にするための講座)が、まさかの最終回、そして参加費四分の一、しかも短期決戦セミナー方式で告知されました。

 

でもその講座の日程に被さるように予定がありました。一つは興味のあるイベントの頼まれ事のボランティア、一つは何年も出店したいと思いつつも叶わなかったフェスに飲食出店。

そして家計は火の車。

しかも東京に行くとなると新幹線代やら宿泊費やら費用もかさみます。

 

 

胃がキリキリと痛みました。

 

だけど、だけど、私は今このチャンスを掴まなければ、いつまでもやりたいことを後回しにして

いつまでも自分の本望を後回しにして

いつまでも好きなことで稼ぐこともできないまま

死んでいくのかもしれない。

 

そんな人生で本当にいいのだろうか?

 

私は何のために生まれてきたのだろう?

 

 

だけどお金なんかない

 

予定を断る罪悪感で胸がつぶれそう

 

夫は理解してくれるだろうか?

 

また母に批判されるんじゃないだろうか?

 

こんなのに参加するくらいなら自分でやれよ!

 

だけど、私、このままじゃ、死んでも死に切れない。

 

 

「絵描きなんて食っていけない」

 

 

ふと脳裏にこの言葉が浮かぶと突っ伏して泣いていました。

 

私はあの時の泣くことも叫ぶこともできなかった18歳の私を置き去りにしてきたままだった。

 

母には母の人生があり母なりに一生懸命生きてきた人だし大好きだと思えるくらいにはわだかまりは解消してきたので恨んでなどいない。

 

だけど、私よ!

 

ごめんね!ずっと無視してきた。

 

仕方ないんだこれが社会なんだって置き去りにしてきた。

 

あなたの情熱を、なかったことにして気づかぬふりをして、恐れて避けて無視してきた。

 

22年を取り戻せるとは思っていない。

 

 

 

だけど、やるんだよ!

 

今からだって!

 

 

 

じゃないと私の成仏できない生霊がいつまでもいつまでも自分に付きまとってくるし恨まれて呪われて幸せになんかなれないよだって自分の一部なんだもの。

 

自分で自分を苦しめるのは、もうやめたい。

 

今までだってそこそこ充実していたしやりきった充実感だってある。

 

だけど私のコアが一番満たされなくてどうするんだろう?

 

こんな物語を忘れてしまうくらい楽しくてワクワクして情熱を注ぎまくれる仕事を私にしかできないことを全うしたいのです。

 

全てに思いっきり深く感謝して愛したいなら、自分を自分で救わなくちゃ。

 

そう思って、この一見何だかわからない怪しげと見る人には怪しいだけかもしれない「スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース(はづき語で言うと:自分の本質とつながり自分が本当にやりたいことを仕事にするための講座)に通うことを決めました。

 

長くなりましたが、今から第三回目の講座に行ってきます。

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【続】どうして今さら?

私は幼少時から絵を描くのが好きで手を動かして作ることによく没頭して育ちました。そろばんや公文やバレエなど色々な習い事をしましたが、唯一ずっと続けてこれたのは「絵の教室」でした。

 

高校では自由な校風の進学校に入り美術部で授業をこっそり抜け出してデッサンしたり河原でぼんやりしているうちに美術大学に進むことを決意しました。

その頃の自分のイメージでは美術大学はアーティスト(美術作家)になるために通うところでした。一方で、取り寄せたパンフレットの中の「デザイン科」はとてもかっこよくて、グラフィックデザイナーっていい響きだなあ、と文字や勝手なイメージを持って憧れていました。

いざ受験するとなると美術予備校に通うわけですが、そこでは受験のためにデッサンや色彩構成をします。

絵画や彫刻などの美術系を目指す人たちはデッサンや自画像などを描きます。

どちらも画材で描くことには変わりないのでどっちでもいいやみたいな気持ちと「デザインってかっこいい」「美術系は内面見つめたりドロドロしてて面倒くさそうだしなんかダサい」という高校生の浅はかなイメージで、なんとなーくかっこいい方のデザインを選んだような気がします。まあそれだけでなく基本的に美しいものが好きだったので、見てパッとわかりやすい美しさや身近なものの楽しい色使いという意味でのデザインに惹かれたところもありました。

デザイナーがどんな内容の仕事をしていて自分が向いてるかどうか?

デザインに対する情熱はあるか?

なんて考えもせずに「デザイン科」を受けると決めたように思います。

 

進学校のはみ出し者だった私をいつもかばってくれていた高校の美術部顧問の小山喜三郎先生に「デザイン科を受けることにしました」と言うと、先生はパウロ・クレーの絵とジョルジュ・ルオーの絵を二つ並べ「はづきは、クレーみたいに理性で筆を持つタイプではなくて、こっち(ルオー)だと私は思いますけどねぇ」と言われました。

だけどそう言われても自分のことなんてわからないし、先生の言うことなんて聞くつもりもなかったし思い込みが激しくて自分の選択に疑問を持つことはありませんでした。

今思うと、私をよく見ていてくれた身近な大人の意見にちゃんと耳を傾けて考えてみても良かったのに、と思いますが若かりし頃は聞く耳を持っていないってこと多々ありますもんね。

 

ここまで書いていて思い出したことがあります。

 

私は思ったことを何でも口に出すところがあって、それは子供の頃からずっとそうだったんですけど「弁護士になろうかな」とか「獣医になろうかな」と思ったことがあります。

「弁護士になろうかな?」と言うと「勉強たくさんしないとだし、自分が嫌だなって相手のことも弁護士なきゃいけないよ?向いてないんじゃない?」と言われました。

動物大好きだったので「獣医になろうかな?」というと「血を見て手術とかできるの?死んだらその度にしんどい思いをするよ?」と言われました。

この頃はまだ幼かったしその時に関心を持っただけで口に出していたので、まあ、仕方ないところもあります。

 

ですが高校生の頃、コムデギャルソンを知り大好きになって「ファッションデザイナーになろうと思う」と言ったら「ファッションなんて虚飾の世界だよ」と言われました。虚飾?と思ったけれど、そうなのか?私が子供だから知らないだけで?と思いました。

そして武蔵野美術大学基礎デザイン学科に合格して、でも私のやりたいことじゃない気がするやっぱり浪人してでも私は絵を描くことを仕事にしたい。

 

絵描きになりたい!

 

合格おめでとうムードの中、勇気を振り絞って「どうしても浪人してでも芸大に行きたい」「なんで?」「絵描きになりたいから」「絵描きなんて食っていけないよ」ガーン。。クラクラしました。そうなの?と思ったけど反論するほど世の中のことを知らずにいたし、やる気を理解してもらえる気配はなく、納得できないながらも現役で受かったところにおとなしく行くことにしました。

 

長くなったので、ここまでにします。続きはまた。

 

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どうして今さら?

前回の記事に「「スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース(はづき語で言うと:自分の本質につながって自分の本当にやりたかったことを仕事にするための講座。講師:本郷綜海)」に参加していると書きました。

 

さてさて、なんで今さら「自分の本当にやりたいことを仕事にするための講座」になんか行くことにしたのでしょうか?

今まで何やってきたの?

今までやってきたことは「本当にやりたいこと」じゃなかったの?

「自分の本当にやりたいこと」なんて、とっくの昔にクリアして活躍しているのが普通の大人ってやつじゃないの?

年齢的にはとっくに大人なのに、どうして今さら?

 

どうしてか?

私は2011311日に起きた東日本大震災がきっかけで当時住んでいた千葉県我孫子市から京都市左京区に引っ越してきました。

それまで2010年の秋と2011年の1月に個展を開き、どんどん絵を描いたりものづくりを再開していこうとしていました。

さらにその前は友人たちとチーム「こたね」を始め「持続可能な社会はどのようにして可能になるか?」をテーマに原子力に関する勉強会や上映会、手作り味噌を仕込む会などを企画開催していました。

社会には様々な問題として認識される出来事があり、どうやったら解決できるのか?どうしたら私たちはよりよい未来を想って行動できるのか?を考えたり取り組んだりするうちに疲弊しきってボロボロになっている自分に気がつきました。

 

誰もが例え大勢の中にいても自分の意見を堂々とはっきり言えるような世界になったらいいのに。

意見を出し合いつつも互いに尊重し合い話し合い理解しあえる社会になっていったらいいのに。

誰もが自分の本当にやりたいことを仕事にできたら、食べていくためだけに嫌々やっている仕事を選ばなくて済むのに。

誰もが自分の好きなこと得意なことを仕事にして生活できたら、本当は良くないと思っているけど食っていくために仕方なく諦めた気持ちで仕事をしないで済むのに。

どうして世界はいつまでも問題だらけなんだろう?

私には一体何ができるだろう?

と悶々と悩んでいました。

考え続けて辿り着いたのは「他者を変えることは難しくても自分を変えることはできる」ということでした。まずは自分から始めよう。自分の好きなこと得意なことを仕事にしていこうそれで食べていけるようになろう。自分が変わることで少しでも世界が変わっていったらいいなと思いました。社会に目をむけつつ、創造性を花開かせて楽しく喜びの内に生きることは可能か?可能なはずだ!と。

私は幼少時から絵を描くのが好きで、大学も美術大学に進学しました。そんな私が「絵を描く」ことや「ものづくり」をしてそれで稼いでいこうと決意することは、最も容易いことのように聞こえるかもしれませんが、そうではありませんでした。そこには幾つものブロックが存在していたのです。

長くなったので、続きはまた。

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消化不良の感情がからだのどこかに

 

私、自分の体のことを外側から内側から、ほぼ癖かのように結構、常に観察してきたんですね。
だからジムに通った時なんかは、自分の肉体についてどこがどうなっていてどういう動きの癖があってどう改善したくて来たかの詳細を語れるのでトレーナーに驚かれたりしていました。人を見るとき例えばサッカーの試合で選手だとか、たまたまテレビで見たフィギュアスケートの選手とか、あるいは歌を歌う人であるとかの体つきを観察して分析する癖があって。骨格や筋肉のつき方とかエネルギーの通り具合とかをじっと見入ってしまうんですね。結構すごく売れてる歌手とか、アスリート選手の体はやはり目に見える意味でも見えない意味でもいい塩梅のバランスだったり抜けの良さだったりするので、見ているだけで気持ちいい。やっぱり体の使い方もプロなので。さらに舞踏家とかになるとその肉体の在り方の美しさに加えて、その在り方の意図が伝わってきたりするのでそこにも感動して涙が出ます。

それで私の場合、長年…そうだな二十年以上、なんか気になるけど鏡を見て自分で意識して矯正しようとしても全然直らない箇所があったんです。わかっちゃいるけど、どうしたらいい塩梅になるのかまではわからないという状態が続いていて、もうこういうものなのかな?私の体…と思ってきたんですね。

で、今三ヶ月間の「スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース(はづき語で言うと:自分の本質につながって自分の本当にやりたかったことを仕事にするための講座。講師:本郷綜海)」というものを受講している最中なんですけれども、これに参加する!と決意して家族にも話して入金してっていうプロセスを踏んだだけで、自分の中にあった古い精神的な傷というものが浮上してきたんですね。例えば
「私にはそんな価値はない」
「私なんかどうせ愛されていない」
「私って何をやってもダメだ」
「私なんて結局やるやる詐欺だ」
いざ自分の本心、芯の部分、魂とでも言ったらいいのか?そこにグッと本気コミットしただけなのに、いつどこでのものかハッキリしないものも含めて消化不良の感情がグワングワン湧いてくるわけです。そしてばーばー泣きました。どおおおおおって感じで嗚咽することもあって。それで泣ききって目を腫らしてフニャっとなって立ち上がると…
あれれ?立った時の内側の感覚も、立った時の重心や骨格の感覚も、変わっていました。
つまりこれはどういうことかというと、体の中のどこかに消化不良の感情が留まっていて、それが顕在化したことで流れて出ていったら、留めておくために必要としていた力が抜けて解放された、ということなんですね。なのでスッと楽に立てたしフッと軽く感じるし、フニャっと気が抜けていい感じになっていたわけです。ま、なんつーか、これが癒しってやつ、なんすわ。めっちゃ激しいエネルギーの動きが起きているので、まあ当然疲れるし水ごくごく飲みたくなるし(エネルギーも新陳代謝して浄化するから)そこに至るまでの間にごっつい抵抗なんかも出てきたりします。変わらないでそのままであり続けることもある意味で楽だしそうやってある状態をずっと保とうとする性質も私たちの体や精神にはありますね現状維持装置みたいな感じで。
つい数日前も、これまた長年書けないままでいた「プロフィール」というものを書こうとしたら抵抗がすごくありまくって、あらやだ引っかかる…と思ってグラウンディング(はづき語:自分のからだの中に自分の意識をみっちりすっぽり住まわせること)をしてちゃんと感じることを意図したら…十八歳、大学受験の時に本当は受かったデザイン学科を蹴って絵描きになりたくて母に「やっぱり浪人して来年もう一度受け直したい。絵描きになりたい。」と言ったら「絵描きなんか食っていけない」と言われ鵜呑みにし妥協し唯一受かったデザイン学科に行くことにした時の悲しみが出てきたんですね。他にも別の機会(前に受けたbody&soul境先生の講座)で、初めてセックスした時に相手がアーティストぶってカッコつけて私を大切に扱わなかった時にそれを受け入れてしまった時の悲しみが子宮から出てきたりもしました。こういうことって普段はすっかり忘れているんですけれど、肉体のどこかに消化不良の記憶として手放せずに残ってしまうんですよね。それで、これらの自己存在を揺るがすような記憶が癒された時に体の中の骨、肉、筋などの編成が変化します。最近のこれらの件では、まず骨盤の前後傾きの角度が変わり、そのことで立った時の力の入る位置や骨を支えている筋肉の力配分とかも変わって、鏡を見ると長年どうしても意識的に力を入れたりして矯正しようとしてもできないままでいた部分が、スッと直っていました。立った時の体感も違うし、今までどうしても力が入らなかったポイントに自然に力が入るようになっていたり。ホント人体って不思議ですね…。
そんなわけで、ちょっと濃いめの「からだ」と「見えないけどあるもの」カテゴリーな記事になりましたとさ。よっこいしょ。 

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