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言葉で伝えようとすること②

言葉で伝えようとすること①に続く感じで書いています。

 

 

昨年、森田雄三演劇ワークショップに参加した時のこと。

 

雄三さんが「ゴチャゴチャ言わなくていいから、あなた不思議なものが視えちゃう感覚の子なんだから」と言いました。

 

私が、過剰に説明しようとするけど本当は全然そういうことが本分ではないということを

見抜いたのです。

 

その前に雄三さんは「あなた、霊感がある?」とひっそりと聞いてきました。

 

ドキッとしました。

 

「僕は脳がおかしくなって手術してから、先生に頭が良くなった気がします、と言ったのね。他のことはうまくできなくなったりもしたんだけど、直感というかそういうのがスッと頭の中に出てくるようになったの。」

 

そうなんだ。

 

私の場合、霊やオーラは見えないけれど私は人の心や状態に敏感で目に見えない何かを察知している感覚があります。

 

ある島ではクッキリと声で聞こえたり、不思議体験と言えるような体験は他にも色々とありました。

 

だけどそれらのことは誰にも言うつもりもなかったし、言ったところで理解される気がしていませんでした。

 

だけど雄三さんは、私がそういう子だってことを、すぐに見抜いて、わかった。

 

その時にとても安堵しました。

 

 

言わなくても、わかってくれる人は、わかってくれるんだ。

 

そういう人は、いるんだ。

 

私は、雄三さんをある意味とても信頼しています。

 

「いい加減なこと言ってるんだからさ俺」って言ってるし本人はそう思っているんだろうけれど、直感的で本質を突いていることが多い。

 

私は「言葉」にどのくらいその人が伝えたいことが乗っているか

 

 

その人と発せられた言葉がどのくらい誠実な関係かに、とても敏感です。

それは自分がそれほど上手に言葉で表現できない頃からそうでした。

 

だから嘘をついているだとか適当なことをどうでもいいと思って言ってるとか

そういうことを感じ取ってしまう。

 

わかりたくてとか、わかろうとして、とかじゃなくて

どうしてもわかってしまうのです。

 

それは実は恐ろしく辛いことでもありました。

 

見たくない部分も見ることになるし

 

知りたくないことを知ってしまうこともありました。

 

社交辞令で成り立つような集まりは苦手でどう振る舞っていいかわからなかったし、お互いの本音を探り合いながら建前で会話することも苦手でした。

 

そんな時は一人離れて静かにぼんやりしている方がずっとずっと楽でした。

そういうことが「変なこと」だともあまり思ったことがなかったけれど

「おかしな人だなあ」と思われていたかもしれないと今は思います。

 

ある意味、テレパシックというか、サイキックな能力があったからなんだと知ったのはある程度大人になってからでした。

 

そんなだったので若い頃は、人と言葉のズレを指摘してバサバサと人を斬るような発言もあったと思います。思いやりに欠けるような。

 

正直さだけが取り柄と思っていた頃の私の言葉は危ないものだったかもしれません。

 

人生経験が積まれたり本郷綜海さんのグラウンディングとか学んだりしたことで

 

これでもだいぶ、言葉で何かをぶった切ったりしないようになったんです。

これでもだいぶ、丸くなったんです。

 

若い頃の私を知ってる人ならわかってくれると思うんだけど

出会いというのは常に一瞬のやりとりだったりするわけで。

 

だからと言って自分の感覚的なことは鈍らせたりできることではないので

 

諦めてこの自分のまま、行くしかないなって

 

半分は諦め、半分はそれでこそ私

 

と思って生きています。

 

森田雄三さんのブログ

http://yuzo-goroku.jugem.jp

 

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