この美しさをなぞりたい

林 葉月が見た世界、描き記す絵と言葉

出る杭は、堂々と出たら打たれない

私を特別扱いして~という欲求の強い人には

 

きっと理解しがたいことなんだろうけど

 

私の中には

 

「特別扱いされたくない!」

 

という気持ちがあることに気がつきました。

 

なぜか

 

それは今までしょっちゅう

 

 

特別扱いされてきたからです!

 

 

自分でもなんでか知らないけど

 

子供の頃から相手が誰であろうと

 

自分の言いたいことを言ってきた感じがあって

 

相手が大人だろうと先生だろうと

 

友達だろうと見知らぬ人であろうと

 

立場や年齢などを超えたところで「対等である」という認識が

 

なぜかあった。

 

全然自分でも理由はわからない。

 

 

そして、ただ自分がそうあるだけで

 

 

「すごく意見を言う人」

 

「思いが強い人」

 

 

みたいになっちゃうのがもうすごく不思議で私にとっては。

 

 

よく、言いたいことが言えない、とか

 

思ってたけど、言えなかった、とか

 

あるじゃないですか。

 

私にもそういうことが、ないわけじゃないんですよ。

 

 

でも、意見を出したりするときはすべての人が自分と同じように

 

自分のこの思いから生まれるこの意見は対等に貴重である

 

と思っているだろうと思っているんです。

 

 

でも、どうやらそうじゃないらしいんだな。

 

 

私は「世界にたった一人しかいないこの私の意見というのは

 

世界にたった一人しかいないあなたの意見と等しく貴重である」

 

と思っているのだけど

 

 

え?!もしかしてそんな風には思ってないんですか?!

 

と思うような発言をよく耳にするので

 

やっと気づいたりしてきたんです。

 

 

自分にとって当たり前のことって

 

周りを知らないことには差異に気づきにくいですよね。

 

 

それで、例えば、意見を言うと、声を上げると

 

なぜか突出していしまう、ということが現象としてあって。

 

私は「あれえ?みんなも言って~?じゃんじゃん出し合っていこう?」

 

と思っているんだけど、ここでもう

 

「すごーい」とか「私には言えないですけど共感しました~」とか

 

言われたりして、えーと、すごいとかじゃなくて、あのう。。意見出し合う件どうなった?

 

と、なるんですね。

 

 

あ、少し話しずれたかな。

 

 

「特別扱い」された経験がある人にはわかるかもしれないけど

 

依怙贔屓されたりすると「私も特別扱いされたい!」って思ってる人にとっては

 

「なんであの人だけ」と嫉妬の対象になるし、さらにこじれてると

 

「引き摺り下ろしてやる~!」とは言わなくても

 

そういう無意識の意図からの棘のある発言を浴びたり行動されたり

 

するものなんですよね。

 

 

でね、ここで私がちゃんと自分の「特別さ」を受け入れていたら

 

その「特別さ」を私がちゃんと活かしていたら

 

「まあそういうこともあるか、仕方ない」

 

って思えるんだろうけど

 

実際は、全然そうじゃなくて

 

「みんな等しく『特別』じゃ~ん?」

 

「ひゃー!なんで私だけ!?」

 

って思っちゃっていたんですよね。

 

自分の自分としての特別さ、ユニークさを受け入れて使っていなかったからだろうなあ。

 

 

だから依怙贔屓してくれたり、特別な存在としてみてくれることは

 

心の底では嬉しいんだけど

 

「やめて~!」「こわい~!」「普通だし~!」

 

という声も心の中にこだましていて

 

あまり心地の良いものではなかったんです。

 

 

でも、もうそういうの、やめることにしました。

 

 

私って、すごいんだ。

 

私って、特別なんだ。

 

私って、天才なんだ。

 

 

誰もが同じくそうなように

 

私は、私の特別さを、しっかりと受け入れて

 

その特別さを抱っこしてかわいがって

 

手をつないでいてあげようね

 

と思いました。

 

依怙贔屓、ばんざーい!!

 

依怙贔屓されても、もう、大丈夫。

 

 

そんな私で生きていこうと決めました。

 

めでたしめでたし。

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