この美しさをなぞりたい

林 葉月が見た世界、描き記す絵と言葉

映画『リバーズエッジ』観終わった印象とか雑感

最後にかかった小沢健二の歌が唐突だったこと

小沢健二の歌だけが至極健全で、生命力を放ちまくってたこと

エンディング曲の違和感→唐突さとその生命力な感じと、あとそれまで完全にフィクションの世界だったのにいきなりリアルな世界のことを歌っている感じを、どう捉えたらいいのか受け止めきれない感じで終わっていくエンドロール

 

映画そのものは原作にかなり忠実に作られていると思った。

 

出てくる人たちが全員、亡霊のよう。体と魂と心とが全部ズレてて、まともに生きていない感じ。

 

一番美しいシーンは山田くんが「あの人がいて、僕は、あの人を見ることができる。それだけでいいんだ。」このプラトニックなラブこそが愛じゃねーのとひどく心を打つものがあった。当時もそんな風に強く思ったことを思い出した。

これは岡崎京子から小沢健二へのラブレターを代弁させていると思った。

 

しかし、岡崎京子は小沢健二のことが大好きだったはずで、その小沢健二をモデルとした山田くんを

ボコボコに殴打されまくったりする設定としてよく描けたな、と思う。

 

実際、当時の小沢健二は、全然的外れな批判とか、クソみたいな嫉妬によって「ボコボコ」にされていたから

そのことを描いているのかな、とも思った。

 

あとこれは当時の小沢健二に対する警告のようなものでもあったのではないかという気がする。

それはボルデモード的なオリーブ少女的な可愛い子猫ちゃんたちを悪意はなくとも結果的に「騙して」いて

「騙す」ことで彼女たちに幻想を抱かせ「殺して」いる面があるのでは?と。

まあそれも彼女たち自身が、勝手に抱いた「嫉妬」に身を焦がして自爆するわけだから

知ったこっちゃねーよ、なのだけど。

それってさあ、どうなの?という問いにも見える。

 

嫉妬とかオリーブ少女の持つ無邪気な邪悪さ(相手の本質なんて見ていなくて、相手の見た目やそれらに付随するステイタスだけを愛し、それらを所有することでのし上がろうとする欲望)を徹底的に憎んでいるんだなってことを痛感した。

 

本当に登場人物が全員ムナクソ悪くて、全員大嫌いだったんだけど

心情の一部分として切り取ってみると共感できるところもある。

 

それほど好きでもない相手と寝たり、セックスしても興味を持ったり好意を持ったりしていたわけじゃなかったりするような不感症の部分とか

そうして無数の擦り傷を負うようなことを自分に許すことで、自分を大切にできていなかったり。

 

でも、どうして「死体が宝物」たりえたのか?は当時も、今も、全然わからないし共感もできないままだった。

 

全体を通して、非常に「しんどい」世界。

描かれている登場人物もだし、リバーズエッジを読んでいた当時高校生だった頃の自分もとても「しんど」かった。

 

当時のしんどさ(片親だったのに、親が恋人のところへ行ったっきり帰ってこない日が多かったこととか、誰からも愛されていないんじゃないかという不安が自分を蝕む感じとか、ストレスを感じると食べて痩せたくて吐くこととか、進学校で勉強しないといけなかったり、学力至上主義的な入試システムに回収されていく感じへの抵抗感とか)がフラッシュバックしまくって、映画を観つつも反応する自分が、マジしんどかった。

 

 

ああいう感じを、回収して、今こそ、映画にすることで、もっと私の中の何かが癒されるかと少し期待してみたけれど

全然そういうことは無かった。

 

それでも、まあ、思うのは、しんどかったけど、私頑張ったな。よくサバイブしてきたな、ってことくらいだ。

 

リバーズエッジ、特に観ることをオススメしたくなるようなものでも無かった。

 

良くも悪くも、あの当時の「しんどさ」を引きずったまま、私たちは生きていて

今もまだ、生きている。

そのことは、単純に、よかったね。と思える。

 

小沢健二はインタビューで本当のことを言うようになったのかな?

 

本当のことって、言葉にすることができるのかな?

 

言葉にしようと、もがけばもがくほど、砂に書いた文字のように消えていくような気がする。

 

でもその砂とか砂際に吹く風とかは、本当、だなって、思う。

 

しかも、結びにこんなことを書くと「いかにも小沢健二のファン」な感じがして非常に恥ずかしい。

 

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